完壁なパートナーが、巡り合う運命

すべての男女には完壁なパートナーがいて、ある日ふたりは巡り合う運命にある。映画やテレビドラマは、ふたりが「運命」に導かれ、バス停やレストランで思いがけず巡り合う、というストーリーを飽きもせずなぞっていますが、これは「神話」に過ぎません。

ヒーローとヒロインが最もありえなさそうな状況で突然出会い、「幸せに暮らしましたとさ」で終わる童話が、この神話を幼い頃から私たちに植え付け、私たちにもいつの日か王子さまが現れるのではないかという理想を抱きがちになります。私たちは、特別な誰かに出会うための方法よりも、こうしたロマンチックな考えの方を信じるようになってしまうのです。

現実には、私たちが日常を過ごす職場や学校や友人関係の中で、そんな特別な誰かと出会う確率はきわめて低く、もっと広範な社会の中にパートナーを見つけるチャンスを託したとしても、どれだけふさわしい人が実在するかとか、どんな方法でその人を探すかといった、漠然とした社会状況に結果が左右されるものです。

☆世界のどこかにいる完壁なパートナーが、私と出会うのを待っているの?
多分「ノー」でしょう。パートナーは完壁な人間ではありません。ただし、あなたの強さと弱さに合い、それを受け入れてくれる強さと弱さを持った人物を求めるのは、理にかなっています。

<例>
「完全を求めることで、自分の人生をみじめにするようなことはしたくない」‐一点。
「だいたい平均的であるように努めている」‐四点。
「最高を私は求めますが、不完全さによって私の人生はだめにはならない」‐七点。
「完全にできない時は、できなかったのだから悔いてもしょうがない」‐十点。

参考:
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